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新井浩司先生を偲んで

2017年11月8日、新井浩司先生が47歳という若さでご逝去されました。亡くなられたという訃報を野村教授から受けた時は、残念で残念で言葉になりませんでした。ただただご冥福を祈ることしかできませんでした。ご家族の悲しみは如何ばかりかと思いますが、5か月近くが過ぎ、少しでもお気持ちが落ち着かれてきていることを祈るばかりです。

私が2003年10月に資生堂より硬蛋白質利用研究施設基礎研究部門の教授として赴任した時、新井先生はご家族と共に米国カンザス州立大学メディカルセンターに留学中でしたが、翌年に帰国され基礎研究部門に助手として研究を開始されたと記憶しています。しばらくは私と一緒の教育研究分野ではありませんでしたが、2007年4月より「細胞組織生化学研究室」の助教として、細胞外マトリックス制御における調節因子の役割を明らかにするために、1)細胞外マトリックス調節因子としての TGF-βファミリーの役割とその結合蛋白質の利用に関する研究、2)皮膚創傷治癒におけるアクチビンの役割研究を開始されました。さらに2009年度からは准教授として研究室の維持発展に多大なる力を注いでもらいました。私とともに彼も応用生物科学科と応用生命化学専攻の教育研究に従事され、約30数名の学生の卒論、修論、博士論文の指導を一緒に行ってもらいました。また研究実務のみならず、研究室の試薬、機器などの管理、さらには予算管理や事務的な業務なども含めて、彼が主体的に行ってくれたので研究室を問題なく運営できたことを記しておきたいと思います。

新井先生は、研究者として自分の行うべき研究ターゲットははっきりしており、それを達成するための最新の知見や研究手技に関して幅広く厳密の取り入れて進めていくため、時々、学生が彼の期待についていけないこともあり、厳しい「先生」と思われていたと思います。この「厳しさ」は学生にとって大事な教育ですので、学生たちも一生懸命頑張っていたと思います。今となっては、これも学生たちにとっては懐かしい思い出になってしまったのが残念でなりません。また、新井先生はあまりスポーツというイメージがなかったのですが、最近は卓球にはまっていたようで、市民大会などにも出場し、中学生クラス(若い人と言っていたかも?)に負けたことを結構悔しがっていました。あまり、感情を面に出さない新井先生でしたが、こんな面もあるのかなと思ったのを覚えています。時々、お子さんを研究室に連れてこられて仲良く過ごされていた姿も記憶に残っています。ついこの間まで、大学での研究に教育に力を注ぎ、またご家族との生活を大事にされお元気に過ごされていたこと思い出すと、なぜこんなに早く逝かなければならなかったのか、残念でたまりません。

私は2016年3月末で定年退職でしたので、前年後期から研究室の整理や引継ぎを始めた頃に、新井先生から体調がすぐれないので診察や検査を受けたところ、大腸癌の手術を11月に受けることになったと聞き、驚いたことを覚えています。彼は、それぞれの状況で私に詳細を話してくれていました。それは、大変ショックな内容でしたが、彼は淡々と冷静に病状を話してくれていました。手術後、ステージ4で余命30ヶ月と言われたこと、そのあと、抗癌剤の副作用のつらさやストーマを付けていること、腹膜に癌細胞が播種しておりその除去ができるか、病院を変更するか、腹膜を取り除くのは大変難しい等々、本人のお気持ちを察すると気丈に振舞っていましたがどんなに大変だったか、今となっては推し量る術もありません。このように心身ともに大変な状態であったにもかかわらず、研究に集中して、卒論や修論の指導、獲得していた科研費の研究や新たに作製したトランスジェニックマウスの維持管理など一つ一つこなしていたことに頭が下がる思いです。さらに、この病状でも今までの研究成果を何としても論文にまとめ上げねば、とのことで頑張っていました。その一つは、国際生物学総合誌であるPLoS Oneに掲載されました(下記参照)。

Arai KY, Hara T, Nagatsuka T, Kudo C, Tsuchiya S, Nomura Y, Nishiyama T. Postnatal changes and sexual dimorphism in collagen expression in mouse skin. PLoS One., 12(5): e0177534, 2017.

しかし、これが新井先生の最後の論文となってしまいました。他にも原稿があったようですが残念ながら道半ばで仕上げられなかったことが、彼にとって心残りだったと思います。

最後になりますが、私の定年退職にあたって日本香粧品学会誌から研究での思い出を寄稿するように依頼されましたが、その時、記した一文が次のものです。 「東京農工大学農学部附属硬蛋白質利用研究施設、応用生物科学科、大学院応用生命化学専攻において,教育研究に12 年携わり,・・・・・・・・・・・・・・・まだ研究途中で論文化できていない成果もありますが、研究室を引継いでくれた新井浩司准教授が今後さらに研究を発展させてくれるものと期待しています。」と文章を終えたのですが、まさか新井先生が亡くなられ、これほど早く記載した内容が果たせない状況になるとは考えてもいませんでした。残念で残念でたまりません。研究室をともに発展させてくれた新井浩司先生に心より感謝の意を表したいと思います。そして今はただただ、彼の安らかな眠りを願うだけです(合掌)。

西山 敏夫